【予約受注商品】1%13”Diamond Patch S/S Shirts”締め切りは2016年6月12日まで
販売価格: 11,500円(税別) [通常販売価格: 23,000円]
(税込: 12,650円)
TITLE : 1%13 Diamond Patch S/S Shirts
BRAND : 1%13
DESIGNER : TAKACHO LONDON
MATERIAL :
本体 : レーヨン 100% ( RAYON 100 % )
別布 : コットン 100% ( COTTON 100% )
ボタン : 黒蝶貝 ( BLACK MOTHER OF PEARL SHELL )
SIZE : Small / Medium / Large
COLOR : ONE
PRICE : ¥23,000+ TAX
= MADE IN JAPAN =
※こちらの商品は、予約受注品になりますので必ず手に入れたい方は是非この機会にご予約ください!
◆予約受注期間 : 5月 25日 ( 水 ) ~ 6月 12日 ( 日 ) まで。
◆お渡し予定日 :7月中旬 (入荷次第すぐに発送させていただきます)
ご予約された商品の受注会終了後のご注文のキャンセルはご遠慮くださいませ。
※ARTOMICの店舗でのSAMPLE 展示は 6 / 6 ( 月 ) - 6 / 9 ( 木 )を予定しております。お近くへお越しの際には是非、本物をご覧いただければと思います。
サイズ換算表(cm)※目安となりますので多少の誤差はご理解ください。
Small | Medium | Large | |
着丈 | 67 | 68.5 | 70 |
肩幅 | 43.5 | 45 | 46.5 |
バスト | 107 | 112 | 117 |
裾周り | 103 | 108 | 113 |
袖丈 | 19 | 19.5 | 20 |
袖幅 | 23.3 | 24.5 | 25.8 |
= ライナーノーツ / TEXT by TAKACHO LONDON =
★ 2016年 夏、地球上のさまよえる全てのラナウェイボーイズに捧ぐ。
50’s、ロンドン、ロックンロール / ロカビリーそしてパンク。
これらの影響下にある、現代の不条理に牙を剥く、全てのリアルレベルトライブスに送る、
1%13 からの最上級の夏の普段着。
それはギラギラとしていたロンドン、80年代初中期の象徴とも言える ” 80’s / 50’s “ ( エイティー / フィフティー )を、
規格外から投げかける、この夏最 高の異端児スタイルだ!!
50年代のスタイルを、モダンに昇華させ、オーバーグラウンドに押し上げた大英帝国地下音楽文化。
その強大なエネルギーが生み出した80’s / 50’sを元に、
2016年、1%13は、よりミニマルでスタイリッシュな出で立ちに組み直し、
全世界 に新型として意識的に発信するアナザーサイ ドからの刺客。
この行動/挑戦は、 転じて “ PUNK “ と成る。
暑さ知らずのレーヨンシャツはテレンテレンのサラッサラ。
地球温暖化により、 暑さが増してゆく日本の夏に、最も適したシャツと結論づける。
これほど着心 地の良い生地が日本の一般生活に普及しないのは、固定概念と素人には取り扱いが向いていないからなのだろうが、
そういったリスクをものともせず、涼しい顔をして向かうのがパンク / ロックンロール。
少々よれたぐらいが男ってーも んだ。
今回発表する1%13 レーヨンシャツは、2010年にFUUDOBRAINの協力を得て製作した
“ 黒シャツ / 1%13 レーヨンシャツ “ のリリースから実に5年ぶりの発表となる。
5シーズン(毎年初夏〜秋まで)実際に毎日着用し、着心地、使い勝手、 生地の経年変化を徹底的に分析し、
はじき 出された解答が、時代と流行に左右 されない、独自の研究に基づく素材とフォルム。
究極のウルトラスタンダード は、大きな変更を必要としない5年前 から既に完成していたという結論だったのだ。
そして、今回新たに加える方向性として、前回のウルトラタイトなコンセプトをベースに
“ ロンドン1984 “ という彩りを加えた、伝説の “ ケンジントンマーケット “ スタイルとしての登場となる。
さあ、目を瞑りイメージするんだ。
自身の脳内タイムマシンの目盛りを30年前 の1984年のロンドンに合わせテレポーテーションだ!!
1984年、ロンドン。
パンク勃発から約7年の時が経とうとしているにも関わら ず、未だその影響はあらゆるところに作用し続けている。
teds mods,psychedelic,hippy,gareage,punk,gossic,new romantic,gay,lesbian, drag queen,etc、、、
最先端の文化は生まれ、交わり更なる進化を遂げている。
そんな中で、60年代後半からロンドンのハイストリートケンジントンに店 を構える “ ケンジントンマーケット “ では、
雑多あるロックンロールトライブの重要なインフォメーションセンターとして、強烈なイデアを発信し続けていた。
勢いのある斬新で最先端の若者文化の 発露がそこに存在し、集約され活性している。
1984年のロンドンはパンク以降の “ 何でもあり “ 感が更に加速し “ ハー ドコア化 “ が進んでいた。
より過激に、より独創的に、、、各々が自分の表現 に情熱を費やし試行錯誤がくりひろげられていたのであった、、、、、、
、、目を開けるんだ。今、目の前にはその “ ケンジントンマーケット “ の、
50’sショップや古着屋で販売されていたと思われる2型のシャツが、現代の考えと手法により蘇り、
新たな可能性と手がかり、失われかけている自己主張の象徴、そして最高のロックンロールウエアとして現れようとしているのだ。
<1%13 Diamond Patch Shirts>
「1%13 V Patch Hand Stich Shirts」 と同じく “ ケンジントンマーケット “ の古着屋や “ ロンドンの50‘s ショップ “ にあったシャツをイメージの基盤に製作。
こいつにはまた違った思い入れがある、、、、、、
時は1983年、再び美濃加茂に舞い降りた ” PRE - TAKACHO “ 14歳。
まだ50’sに のめり込んでいた時期で、パンクはアナーキーとスターリン、SEX PISTOLSぐらいしか知らない子供だった。
引っ越して来て間もないある日曜日の昼下がり、何か面白い事は無いものかと、
美濃加茂市、太田駅前の商店街 “ 万場通り “ を探索していると、一軒の紳士服屋が目に留まった。
名前を “ テーラー藤吉 “ 後に 中学、高校の同級生、藤吉かすみちゃんの実家だった店だ。
別段、とんがった不良の服がある訳でもない普通の紳士服屋だったのだが、
何となく気になって中を覗いてみると、Yシャツのラック前に、トルソーに着せた “ ダイヤモンドパッ チシャツが!!??
“ 岐阜は美濃加茂なのでクリームソーダはもちろん売ってないし、
(厳密に言うと原宿で買ってきた物に1割〜2割のっけて少量販売していたアコギな学生服屋はあった)
ペパーミントは、岐阜市まで電車で40分ぐらい 乗っていかなければ辿り着けない距離感。
そして、それ以前に、自分は岐阜市を往復する電車賃の持ち合わせが常に無かったのだ。
なのに、今、目の前には、” クリームソーダの紛い物 “ と思われる黒のダイヤパッチシャツがあったの だ!!
値札を見ると、” 2300円 !!!??? “ 破格だ!!!持ち合わせの金は 2500円。
これを使ってしまうと、残り3週間は身動きが取れなくなる、、、
オイルショックの影響で祖父のバイク部品の工場が倒産、家、土地、財産の全てを 失った貧しい家庭環境に育ったオレは、
常に金が無く、500円でさえも高価な金額だった。
もちろん買い食い、ゲー センはほど遠かった。行きたかった、行けなかった、、、、、、、
そんな事はどうだって良い!!買うしか無い!!否、欲 しい!!!迷う事無くオレは 有り金をはたいてダイヤモンドパッチシャツ手に入れた。
そして、そのシャツは、貧しい少年の一張羅となったのだった。
その後、どっぷり、50’s に浸かった後、徐々に生活環境と思春期による自身のパンク化が進行し、
サイコビリーの波が美濃加茂に届いた1984年には、ソデが切り落とされ、 その後1988年までは着用していたのだった。
しかし、もともと孫コピー商品(50’s〜ロンドン〜原宿〜美濃加茂)だった為、
生地の劣化から、 脇 から背中にかけてありえない方向に裂けてしまい、シャツとしての天寿を全うする事となる。
それでも縫っては直して着ていたのだが、
残念な事に 20歳を超えた辺りからオレの前から姿を消してしまった、、、、、、、、
そんな強い思い入れと、長期にわたって着用してわかった事実、そして現在に至るまでの経験と学習から、
この21世紀に1%13として、Vパッチシャツと同じくリリースするに値するデザインと確信し、ここにリリースする。
素材はVパッチシャツと同じくレーヨン100%。夏に最も快適な素材として、確信してのリリースだ。
アロハシャツやボーリングシャツを着た事がある人には理解してもらえると思うのだが、
素晴らしく着心地の良い素材である事を改めてここに報告する。
ボタンはVパッチシャツとは対照的な” 天然黒蝶貝 “ ハードコアパンクの黒白イメージはここに集約され、
次世代に向けて隠されたメッセージと して放電される。
それは転じてエキゾチックでクラシカルな雰囲気となり、着用する事が事が楽しくなる仕組みだ。
1%13は常に理由と意志が細部に宿るのである。
ダイヤパッチのパターンはあらゆる配色/配列と前例、そしてイメージから伺える可能性を考察した上で、この配色に決定された。
スタンダードにして極上 の、サックス、イエロー、レッド。
トンナップボーイズにはお馴染みの、” ロンドンの信号機 “ からの選択だ。
生地は敢えてのコットン。レーヨンとの素材の違いから生まれる立体感を楽しんで頂きたい。
ダイヤパッチの下には同色のス テッチを配置し、アトミック感を表現する。
続記
ケンジントンマーケットはロンドンの中心部に位置するハイストリートケンジントン駅から歩いて5分程度東に向かった
49 Highstreet Kensingtonの位置にあっ た常設のインドアマーケットである。
営業時間もその当時多くの店が5時閉店が 多い中、午後6時まで営業。
日、祝 休みだが、他のマーケットに行けば良い話で、ほぼ毎日観光帰りに寄る事が出来る最高のショップであった。
60年代からヒッピー、ボヘミアン達の総合マーケットとしてスタートし、
70年代にはクイーンとして成功する前のフレディマーキュリーとロジャーテイラーや、
80年代 にはジグジグスパト ニックのメンバーが店員として店にも立った(PURE-SEX)伝 説のショップである。
日本では1983年の月刊宝島の “ ロンドン特集 “ や、
シンコーミュージック/水上はる子著の、” ロンドンに行きたい(改訂版) “ 等で紹 介され認知され始める事となる。
ジョンソンズ、ARTIFICIAL EYE、WENDYS、 U.K.TODAY、STRIP、WESTERN STYLING etc,,,
常設複合店舗としては信じられないようなハイセンスな店が入り乱れ、
最先端の文化や情報を手に入れる事が出来る 最高の場所であっ た、、、、、、
そんなキッズにとって熱い情熱がわき上がる不落城ケンジントンマーケットも、
時代と共にゆっくりと時代の波に飲み込まれてゆき、90年代末期に突 如として パワーを失ってしまう。
毎年行っていた夢の場所が元気を失う姿は本当に辛かった。
行けば必ず何かがあった場所も徐々に閉店、
空いたスペー スにはインド雑貨やお土産屋に変わってしまい活気は完全に失っていった。
2000年のミレニアム を控え、ロンドンの都市開発で地価が高昇、
更に土地所有者が土地を手放すと言った最悪の状況に追い込まれてしまっていたのが理由だった。
何とかならない ものかと店員に聞いてみたところ、とんでもない超高額な金額だった事を記憶する。
後に調べたところ£50,000,000(2016年5月のレート/約160円計算で約80 億円ぐらい)と いうべらぼうな金額だった。
どうにもならない。ただ、これから訪れるその時を見守るしかオレには手段が無かった、、、、
2000年。CHELSEAを開店して経済的にも劣悪な状況になったオレはそれでも私財 の一部を売り、
なけなしの金をはたき渡英、再びケンジント ンマーケットに向かった。
変わらない佇まいにほっとしたのもつかの間、店内は薄暗く、確実に去 年とは違う雰囲気になってしまっていた。
慌てて階段 を駆け上がり、ジョンソンズへ。
少しでもロンドンをかじった人間にはお馴染みの、あの入り口はかろうじて健在だったのだが
店内は、、、、既に撤退した後だった。
こんな事があって良いのか!!?? 絶句した。
food barも美容院も古着屋も無い。あるのはどうでも良い民族雑貨と土産屋ばかり。
そして、出遅れたhip hopとアメリカンカジュアルの店が少々。
絶望を受け入れながら店内を探索していると一階のレコードショップは営業していた。
レコードハンティングもままならぬまま、店員の女性に矢継ぎ早に質問をした。
“ ケンジントンマーケットはどうなってしまっ たんだ!? これからどうなるんだ??“ 彼女は寂しそうに答えた。
“ もう、どうにもならない状態なの “ そして、決定的な言葉をオレに告げた。
“ ケンジントンマーケットは来週クローズするの、、、、
“ ガッテム!!マジか??
しばらく呆然とした後、彼女はこう声をかけてくれた。
“ 多くのショップはカムデンやシュピタルフィールズに行く事になると思うから、安心して。
でも実際寂 しいわね、、、、、 “
渡英時、毎日通ったケンジントンマーケット。
初めて行ったロンドン初日、冷たい雨に濡れて到着して一番最初に行ったのもここだ。
数々の想い出が溢れ出す。 歴史、栄光、衰退、そして終焉。
滞在期間に最後を向かえる事となったオレは、何も無いケンジントンマーケット毎日通っ た、、、、、。
そして、向かえる最後の日。2000年3月13、14、15日にのどれかだったと記憶する。
既にほとんどの店は早々に片付けを始めていて、買える 物も殆ど無い。
人影もまばらで、現実を噛み締めながら最後のケンジントンマーケットのフロアを歩いた。
午後6時近くになり、いよいよその時間になろうとしていた。
特に何も変わらないクローズ時間、本当にこれで終わりなのか??明日もいつもどうりやっているんじゃないのか??
そんな錯覚さえ覚えるエンディング。
軽く買い物を済ませ、名残惜しい時間を過ごした後、オレはケンジントンマーケットをあとにした、、、、
翌日、まさか開いてないだろうか?という淡い期待を胸に、オープン時間にハイストリートケンジントンに向かう。
扉は閉まっている。まだこの現実を理解できていない自分がそこに立っていた。
気を取り直し、ロンドン市内を探索し、夕 方またハイストリートケンジントンに向かう。
しかし、扉は閉 まったままだった。
残りの数日間、同じように夕方、何度もケンジントンマーケットに向かったのだが、
歴史は静かに止まったままだった、、、、
ケンジントンマーケットは終了した。
60年代のヒッピー、ボヘミアンカルチャー から始まり、パンク、ハウス、ヒップホップ、文化にまで普及した
最 先端の文化が交錯する場所は、その後大きく変わろうとする21世紀始めに静かに幕を下ろしたのであった。
オレはケンジントンマーケットの最後を看取った、最後の日本人である。
その後数年間は買い手もつかず放置されていたのだが、
現在はPC WORLDと言うコンピュータ会社がビルを建て直し経営している。
PC WORLDに罪はないのだが毎回オレは渡英時このビルの前でツバをはく。
そして、多くの人が雑誌BURSTで目にした 今は亡き “ ジグジグスパトニックの 青ジャン “ は、
初ロンドン初日、ホテルチェックイン直後に胸躍らせて駆け上 がった、
ケンジントンマーケットの古着屋で手に入れた青い革ジャンだっ た、、、、、
全ては時代と共に変わりゆくもの。
しかし、色褪せない真実をこれからも1%13は 独自の継承をしながら、新たなメッセージとして提示し続ける。
Fuck Trend, Fuck Nostalgia, Fuck Heat Wave, and Fuck 40th Anniversary of punk !!
TAKACHO LONDON
この歴史と文化をシャツに落とし込む事にあたって、
惜しみなく尽力を尽くしてくれた “ ますみん “ と、” BLACK BOOTS / 岩前 “ に絶大なる感謝を示す。
<レーヨン生地の使用上の注意>
どんな生地にもメリット、デメリットは存在し、洗濯をすれば伸縮があるのは当 たり前です。
本作品は風合い、着心地を考えた上で敢えてレーヨンを使用していますのでお取り扱いは注意してください。
今回の生地は純粋なレーヨン生地になります。
個体差は有りますが、レーヨン 100%の生地は基本的には下記のような特徴となります。
(メリット)
肌触りがなめらかである
吸湿、放湿性がよい
光沢があり美しい
よく染まる
静電気を起こしにくい
焼却した場合でも有害物質の発生がほとんどない
(洗濯時のデメリット)
基本ドライクリーニングが好ましい
湿摩擦がよくありません(湿った状態での摩擦があると色落ちし易い)
水洗いをする場合は短時間で洗う事で縮みをなるべく防ぐ事が出来る
ネットに入れて短時間(2〜4分)で手洗いで仕上げて、タオルドライ、形を整えて影干しをする
シワになりやすいですが、スチームアイロン等も原則不可
しかし、めんどくさかったら、パンク的にそのままでも問題無し
(自分は普通に 洗っています。よれや、しわは、キャラとして受け止めています)
基本、トラブルの責任は負いませんので、ご検討の上ご了承お願いします。
販売価格: 11,500円(税別) [通常販売価格: 23,000円]
(税込: 12,650円)